2015年12月22日火曜日

みんなすごい



生きることはたいへんだ。
よくみんな生きていると思う。

本当にたいへんだ。

もちろん、僕が感じているたいへんさよりも、はるかに、はるかに、たいへんな事を感じて生きてる人もたくさん、たくさんいるだろう。
でもたいへんだ。だから、たいへんだ。よくみんな色んな事を日々しながら、作りながら、済ましながら、交わしながら、耐えながら、学びながら、思いながら、生きていると思う。

この世に生きるすべての人間を、リスペクトする。

でも、耐えられずに死を選んだ人間を僕は責められない。
遺された人の辛さや哀しみは、到底想像もできないものだけど、生きることが、生き続ける事が正しいのか、よくわからない。
人生は長さじゃないとも思う。何を成し遂げたかでもないと思う。じゃあなんなのかと思うと、わからない。

25歳になって、10年前、という言葉がはっきりしてきた意識されて来た気がする。
15歳のことが、10年前だと思うと、はるかなる人生を感じる。

みんなは10年前、なにをどこでだれと、だろう。
10年後君は、僕は、なにをどこでだれと、だろう。

僕がなにをしていようが、君は興味ないかもしれないけど、僕は興味あるんだ。

空が青かろうが黄色かろうが関係ないんだ。

僕たちは死ぬ前に、後どれほど同じ空気を吸っていられるのだろう。

僕たちがしんでも、空気は続いて行くけど、僕らの身体が吐き出した二酸化炭素が溶け込んだ空気は、もう二度と無い。

だからなんなのだろう。だからなんなのというわけではない。

誰かが死ねば誰かが生きる。

世界は残酷だ。
やっぱり、残酷だと思う。

だから、エモーショナルになっちゃうよ。
感傷的になっちゃうよ。

感傷に酔う事は、おそらくあまり良い事ではないらしいけど、
それでも僕は今はこの感傷を止める事はできない。


世界は残酷だ。みんながんばって生きてる。
とりあえずえらい
えらいぞ!



We've come a long long way together Through the hard times and the good I have to celebrate baby, I have to praise you like I should I have to praise you like I should


僕たちはつらい時も嬉しい時も越えて
長い長い道のりを共に歩んできた

君を誉め称えなきゃ
僕は君に賞賛を送らなきゃね
僕は君に賞賛を送らなきゃね







2015年9月25日金曜日

だれもいないうみ


海がうつくしいことを、この前知った。


遅い、と思うかもしれない。

でも、その海はうつくしくてたまらなかった

海がうつくしいことを、ぼくはいままで知らなかったことをそのとき知った

その海は、けっして写真には撮れない美しさをもっていた。
いや、そういういいかたをすると素晴らしいカメラマンの方たちに失礼な言い方かもしれないけれど、その”うつくしい”海は、写真に収めてしまったら、ただのポストカードみたいになってしまう。
綺麗な写真になってしまう。
ましてや僕のポケットのiphoneのカメラではほぼなにひとつぼくが感じた うつくしさ をとらえるものじゃなかった。

沖縄の海。


沖縄に行ったのは、先月が初めてではなく、高校三年生のときに、修学旅行で行ったのだが、そのときには感じなかった、うつくしさ。

それは、あらゆる”記録”として目にする”綺麗な海”の退屈さじゃなかった。

ぼくの両親の出身地香川で、小さい頃よくみていた、瀬戸内海の深い紺にかんじる少し恐い距離感とも違った。


沖縄の海は、あたたかく、透明で、ただ水色で、畏れがあり、途方なくまばゆかった。

まばゆかった

そのまばゆい海をみながらしばらく言葉を失って、
いままで悲しませてしまったひとのことや、嬉しかったことや、自分のちっぽけさを(ありきたりな言い方だけど)、まばゆさ が想い出させて、ぼくを打ちのめした。

まばゆい海

海はただ水がたくさんある場所じゃなかった

もっとたくさんの命の溜まり、流れる場所だったんだということを
うつくしい ばしょだったんだということを、知れた。


なんかなまぬるい文章だし、よくわかんないけど、想い出したので書いてみた。


おやすみなさい。











沖縄の秋はまだまだこないみたい



2015年9月14日月曜日

Killing Me Softly


英語を勉強せねばならない。


これ、何年同じこと言ってるんだろう。

そして、僕のまわりにも、同じことを言ってる友人が、何人もいる。

おおくの、英語の話せない日本人は、英語話せるようになりたい、と思ってるだろうな。

でも、”話せる”ようになるには、


目を閉じて、

英語の名曲のフレーズをひとつふたつ口ずさんで、

バドワイザーを一飲みして、

ふたたび目を開けたら



話せるようになるわけじゃない。






毎日毎日、言葉や文法を覚えて、話せる人と話し、指摘してもらい、英語の本を読み、わからない部分は調べ、覚え、話し、お金を払ってスクールに通ったり、テキストを買ったり、恥をかきながら、時間を費やしながら、

勉強
しなきゃいけない。



わかりきったことだ。



中学1年生の二学期からもうわかっていたことだ。

”勉強”しないとわからないのだと。


Ms.Green が、何言ってるのか、さっぱりわかんないのだと。





今、24歳だ。
一説によると人間の脳が柔軟に新しいものを吸収するのは25歳くらいがひとくぎりらしい。


だとすると、やばい
一生japaneseしか喋れない人になってしまう。


いや、全然いいんだよ、本当はそれで。
japaneseしか喋れなくていいんだとおもう。


Englishしか喋れないひとがこの世にどれだけいるのだろう


でも、だめなんだ


すごく残念だけど



japaneseはjapaneseとjapanに深い理由のある人しか話さないから。

だけどenglishは

くらべものにならない多くのひとが喋るから

ただそれだけのりゆう


englishが生まれつき喋れるひとはほんとにらくだよなあ。(率直)
そのままの顔つきで、おおくのひとと話せるんだからなあ。
え、話せないの?ぐらいのかんじで…

でもそんな、つまらないことを言ってる場合じゃないんだよな


その完全なるコロニアルな世界観は、ほんとに気に食わないけど、
そんなことを言っても世界は変わらない (僕一人が変わったほうがはやい)

でも、勉強しようとすると苛々する。


でも、勉強しないと、なにもわからないままだ。


わかりたい。


純粋に、おおくの英語を話す人と話したいし、

現代美術は 紛れも無く英語圏の文化だし、


そもそも話せないという選択肢がないんだよな。


自分が人生に希求するものをちょっとでも考えたときに。




でも、勉強は続かないけど、でも、でも、

いや


but!!



I want to speak English because I want to meet somebody in this world!
だめだ…

でも、そうしなきゃいけない。


世界はゆるしてくれないのだ。


それでも世界はtoo much love


果てしなくつづくのだ


愛してるよ








歌詞の意味がよくわからないのとかなによりつらいしね






2015年9月13日日曜日

幻滅



たぶん、このブログ?は、SNSやLINEと違って、ほとんど誰の眼にも触れていないだろう。

なんだか間も空いてしまう。
でも、だからこそ、培えるなにかもあるんだと思って、たまにやっていきたい。

もしかしたら、この先なにかみつかるかもしれない。


そしてこのブログは(ブログ、という響きにあるどこか一昔前で気恥ずかしいかんじはなんなのだろう)いままで何回かの更新は、なんかどんよりしてたので、もう少し気楽にやってみてもいいのかもしれない。

でも、ブログを(何度でも言う)書こうとするのは、大抵深夜だから、なんかどんよりとしてしまう。狂おしくなってしまう。

だったら、ブログ()なんて書かなきゃいいのにともおもうけど(特に誰にも望まれてもいないし)
そこが僕の、くそなところで、なにか、なにかになるかもというキモちわるい願いが、猛威をふるっては過ぎ去っていくのです そしてまた




この前、一年ぶりくらいに会った友達 の話。



大学を卒業して、その人とはそれっきり会っていなかった。
でも、Twitter と Instagram で、つながっていた。

僕のそのての更新はわりと多い(ついアップしてしまうその衝動に勝てない自分が嫌になる)のだが、一年ぶりに顔を合わせた時に、こういわれた。




「SNSで観てるから、すごい会ってる気がする」



悲しいような、嬉しいような、さみしいような、楽しいような、気持ちになった。

一年、というのは僕にしたら結構な年月なのだけど、
その年月が変えようとする”なにか”を、
そういうものは暴いて、だだ流しにして、会っている錯覚を起こしてしまうほど
、生々しい、それがその人 だと"信じて"錯覚してしまうほど、
虚ろな画面のむこうから、親密に人に迫っているのだと、実感した。


僕は照れて笑うほか無く、遠くても近くても無神経に繋がるそのようなもの への幻滅を、あらためておぼえたのだった。


でも、それは同時に、心強いことでもあるし、毎日一分一秒燃え尽きてしまうこの感情の、情景の爪痕を、ネットという謎な大地に書き付けて、それをキャッキャいいながら見せ合う事も、それはそれで素晴らしい事だと、思ったりもする。



生の出逢いの”神秘”のようなもの ”想像” のようなもの


”時”のようなもの を、


SNSはぶっ壊して、ひとを傷つけたりついたりすることも、当然あるとおもうけど、しょせんSNSはSNS、あんまり信じすぎないでいいとおもう

それはそれ、これはこれ、なにせ虚ろな画面に光る切ない情報でしかない
それよりは目の前で生き生きと話す人間を信じたい

でも、実際に会うよりも、そのようなネットの大地(大海?)の言葉を知るほうが、その人のなにか深層のようなものは、知れるのかもしれない。

でも、深層なんてあるのかしれない。
それはそれ、これはこれ、
あれはあれ、君は君だよ。



最後に、その友人との別れ際の会話が印象深かった。



楽しく話したあと、僕が

「SNSで毎日会うのもつまらないから更新するのやめようかなあ」とぼやいたら、

「でも、いいね!とかなにか反応しなくたって、観てる人はいるから、
少なくとも私は、観てるから、たまに届いてるから、たまに更新してね」

そんなようなことをいわれて、僕はSNSに幻滅しながらも、もうすこしやってみようと、ただなにかがなにかへなるそのなにかのなにかになるのかもしれないと、それはぼくだけのことじゃなく、おたがいに生きる事 を届けあえるような関係であれたらと



ほのかな希望を、



この大地に託して











先日 沖縄 に2週間衝撃的な滞在をしたので、かれらを

live in okinawa.. so far..






2015年7月9日木曜日

青空



よく、カテゴライズ、をしてしまうと思う。
かてごらいず、でもいい。

たとえば、日本人、韓国人、西欧、東欧、白人、黒人、フランス人、イギリス人、ドイツ人、インド人、老人、若者、同世代、80年代生まれ、70年代生まれ、男、女、ゲイ、レズ、被災者、加害者、ホームレス、障害者、など、など、まあ、もちろんあげだせばきりがないのですが、、

そんな言葉を口にした時、なんとも居心地が悪いというか、胃がむかむかするというか、嫌な空気が身体に溜まるというか、、

あたりまえのことだけど、韓国人 にも本当にいろんな人がいるし、っていうかそもそも、日本と韓国を祖先は行ったり来たりしてたんだろうから、はっきりとどこからどこまで、何人とかって言えないもんなあ。適当だよねそんなの。


ゲイ、とかそういうのも、当事者はただ人を好きになっただけのことを、カテゴライズして、大騒ぎしてるだけのように思える


一人一人、誰一人として、そんな簡単にカテゴライズできる人間はいない。
共通点や、共有したい部分はあると思うけど、他人同士が責め立てるようなものじゃない
…とか、正論だね。みんなわかってるけど、なかなかできない。

どうしてもカテゴライズして考えてしまいがち。
そのほうが、楽だし、安心だから。
不安で不確定でしょうがないもんね。もし何者もそれぞれカテゴライズでまとめられないとしたら。


でも、だから少なくとも僕は、
そういう大きなカテゴライズはどうでもいいから、
目の前の人に向き合って、自分の頭で決めつけたカテゴライズをぶち壊したり、優しく溶かしたりしながら、それで世界を捉えていきたい。

そうありたい、っていう願い。


願いと言えば七夕だったなあ昨日。
織姫と彦星の話はわりとかってにやっててくれ感あるんだけど、笑
とりあえす「幸せをつなげたい」って曇りがちな夜空に祈っといた。(七夕の企画主旨と違う?)
それぞれの「幸せ」と「不幸せ」が断絶して、冷たいことも起こりがちな世の中なので、まあそれはそれでいいんだけれども、なるべく「幸せ」をつなげて、なんか優しい世界と、もっと優しいじぶんになりたい、っていう欲張りな願いでした。


とにかく、全然足りないんだ。
全然…
がんばろう









生まれた所や皮膚や目の色でいったいこの僕の何がわかるというのだろう

BLUE HEARTS 「青空」






君のことも。なにもわからないよ。どうしよう。




2015年6月28日日曜日

young man



アメリカの全州で同性の結婚が認められたそうだ。


ホワイトハウスは虹色にライトアップされ、facebookにはポートレイトを虹色に加工できる機能まで付いてるみたい。

なんかすごいなあ。


あまりに問題は複雑だと思うので簡単な事はいえないけれど、現在の異性との婚姻制度と同じレベルで、男性と男性、女性と女性、半分ぐらい男性と、半分ぐらい女性、とかいろんな人と人との愛情が、公的に認められるのは凄くいい事だなあと思う。

僕は、物事を二つとかにはっきりわけるのは好きではなくて、そんなにはっきりとわけれえないグラデーションの、まさに虹のような、さまざまな感情や生き方に興味があるから、そもそも「男」とか「女」っていうのがどうも気に食わないんだけど、でも、やっぱり、それは思想的なものであって、「人間」は基本的に男性の身体と女性の身体、二つのうちどちらかに、はっきりとわけられて生まれてしまうのだから、そこに違う役割が付くのは当然で、性行為においても、入れる方とられる方は全然メンタル違うと思うし、そこはどうしようもないなあと。

でもその「分かれ」を悲観的にとらえてるわけじゃなくて、その「分かれ」こそ美しく愛おしく、哀しいものだから、ちゃんと向き合っていかなきゃな、って思うしね

もちろん、身体自体を変えていく抗い方とか、本当に色々あると思うけれど。



そういえば前にゲイセクシャルのひとが言っていた言葉が、すごく自由で軽い気持ちになれたな。

「ヴァギナを欲するのと同じように、ペニスを欲するだけ」


それ以外の違いはないのだ〜











village peopleの同性愛の自由を歌った歌なのに
日本では雰囲気だけになった歌 
この日本という国でも他者との違いにもっとゆるやかでおだやかな認識が公的にも広がればいいな




Just go to the Y.M.C.A. Young Man, Young Man, I was once in your shoes Young Man, Young Man, I was out with the blues


Y.M.C.Aに行こう!若者よ! 俺も君と同じ境遇だったんだ若者よ! 俺も1人で悲しみに暮れたんだ




2015年6月22日月曜日

大丈夫であるように


最近、ひょんなことからバンドのPVを依頼されたので、その参考にとミュージシャンの映像を観たりしているのだけど、そのなかで軽い気持ちで観たCoccoのドキュメンタリー「大丈夫であるように」(是枝裕和監督)にとてもダメージを受けた。


内容としては、日本全国を巡るCoccoのツアーを追っているだけなんだけど、その旅のなかでも激しく揺れ動く彼女の強くて弱いこころと、まっすぐに飛んでいく歌声と、繊細で正直な言葉が胸を打った。


彼女自身沖縄の出身で、「日本」という国の「米軍基地」という問題を押し付けられて、それでもそこで笑顔で生活しなくちゃ行けない苦しさとか、戦争を経験した世代の人の悲しみとかを凄く感じて、背負っていて、彼女の代表曲のひとつ「ジュゴンの見える丘」は、米軍基地の移設が予定されている辺野古の海に突然現れた二頭のジュゴンが由来になっていたことも初めて知った。歌詞の


悲しみはいらないやさしい歌だけでいいあなたに降り注ぐ全てが正しいやさしいになれ



は、沖縄に住む彼女の祖母達の世代の人達を想って書いたんだと。


僕自身沖縄の問題は、まだほとんど何も知らないし、修学旅行で一度行って、戦争跡地を観て、ただ打ちのめされて帰ってきただけで、沖縄という場所にまだ能動的に関われてない。でも、南の島はすごく好きだし、沖縄の音楽も好きだし、なにより知らないままじゃ行けない事が、あの場所には、あの海には沢山あると思うから、行こうと思ってる。それをより思った。時間はそんなに無い。


映画にこんなシーンがある。
彼女が青森にツアーに行った時、ファンの一人が、「六ヶ所村」についての手紙を送ってきて、彼女はその場所を訪れる。六ヶ所村は核燃料の再処理工場で、「日本」という国のエネルギー政策のしわ寄せが溜まっているような場所。
その様子をみた彼女は衝撃を受けて、自身のライブで、青森の方達に、泣きながら謝る。

自分は沖縄の新聞で沖縄が主語のことしか知らなくて、日本の人に沖縄に来て欲しい、おじいに会って欲しいと思ってたけど、自分は六ヶ所村の事は何も知らなかった、と。


そして沖縄のライブで沖縄の方達に向けて、こう話す。


 「 自分たちもよ、誰かに何かを託してて押し付けてるっていうのもよ、     ただ生活してるだけでよ。

    核のものはみんなで出したものであって、   でもそれを押し付けられてる小さな村もあって   それを受け入れようとしている村人がいて…

   自分たちだけが被害者じゃないっていうのを、   あっちゃん(Cocco)若い人達は意識しながら、   自分たちもなにかをしてしまっていること、   自分たちが知らない事が、まだまだ日本だけでもいっぱいあるっていうのを わからんといけんな、と思った!

   そんな時にも、歌をうたうんだけどよ、あっちゃんはよ… 」



いまこうしている時間にも、いろんなひとにいろんなことを押し付けて、迷惑をかけて、傷つけている僕の生活を、本当に考えなきゃなと思う。


前回福島に行った時、原発で作業してる人達にも何人かあって、あの人達の、家族も故郷もある人たちが背負う覚悟って、とても打ちのめされて、自分の存在ややっていることが、凄く情けなく歯がゆくなった。この先、彼らともっと話をしたり、現地に行ったりしたいって思ってる。

でも福島の事以外でも、たとえば自分の家族の事とか、友達とか、そういうことでも、いえる話だと思うから、遠くばっかりみないで、近くもみたり、遠くを近くにしたりしながら、頑張るよ。

ながくなったので、そろそろおわります。


最後に、タイトルの由来になっている、彼女の言葉をかいておきます。
つよくてやさしい。
cocco、いままでちゃんと聞いた事無かったけど、ちゃんと聴こう。




「 みんなが、立ち向かおうとしてる事とかが大丈夫ってあっちゃんは言えないし、
   大丈夫じゃない事もいっぱいあると思うし。
   でもよ、大丈夫 ってたぶん自分で決めることだからよ、
   自分で大丈夫にするしか たぶんないばよ。

   だけどよ

   大丈夫でありますように って

   思ってる事は 確かだから
   だから、みんなが、進むべき道と、進みたい道と、明日と将来と、夢と、
   いろんなことが、

   大丈夫であるように、って


   思ってます。


  以上です!」





2015年6月18日木曜日

in my life


窓の外は雨が降っている。

6月の雨は、凄く好きだ。一番好きだ。

高校生くらいまでは、湿っぽくてうざったかったんだけど、年を噛み締めていくごとに、その情感に心動かされるようになった。美しいと思う。

音が美しい。優しい。無理してない。強いらない。ただ、降っている。降ってくれている。できることなら6月の雨の頬を撫でたい。でも君はどこにもいない。

姿形もない。

だから僕はこうして、


なにかをつくり続けるんだけど。


いつかきみに届くように。


いつかきみに触れられるように。




(なんかこういう感じって、自己陶酔っぽくて嫌われるのかなあ?)




最近、季節が巡るごとにより深刻に感じるのは、去年の季節の頃のことや一昨年の季節のことや、もっと前のこと。
自然と思い出している。

「生きる」ってことは、「思いで」を積み重ねていくことなんだなあ、と深々思う。
6月の温い雨が、そのことを僕の身体に染みわたらせてくれる。

べつにノスタルジーなわけじゃないんだけど…。まあノスタルジーでもいいんだけど。


でも僕にとっては、よくわからない未来なんてわりとどうでもよくて、思いでだけが自然と、雨にまぎれて、そこに降っていれば、生きていることに満足できるってこと。

それだけじゃお腹が空くとしてもね。




さいごに、ビートルズの「in my life」はっとくぜ。




Though I know I'll never lose affection
For people and things that went before
I know I'll often stop and think about them
In my life I love you more


去っていった人たちや物への
愛情が消えることはないよ
きっとこれからも何度も、ふと思い出すだろうな
でも僕はこの人生で、それ以上に君を愛したい










2015年6月17日水曜日

社会派



「作品が社会派だね」といわれることがたまにある。
取り組む内容が内容だから、そう言うこともわかるけど、そういわれると「社会なこと」と「社会じゃないこと」がはっきり分けられてしまったような感じがして、すごく寂しい気持ちになる。


ためしにその言葉を大辞林で調べてみると、



しゃかい‐は〔シャクワイ‐〕【社会派】






現実の社会問題に重きをおく傾向。また、そのような人。「―の小説」「―の映画監督




だそうだ。なんかださい。


たとえば、誰かが大切なひとを失ったとする。
もうその人は歩けないほどに打ちのめされて、立ち上がれないとする。
それも、その人にとっては、現実の社会問題 だとおもう。
それも最も重大な。
もちろん、社会の教科書に載っているたくさんの事象も大事なんだけど、でもすべて、そういうひとりひとりの個人の苦しみや疑問や、希望や愛情が、本当に複雑に連なって折り重なって、すべての 現実の社会問題 ができているのだから、問題の差はあれど、どれも重大な社会だと思う。


その堪え難い苦痛に、「戦争」とか「震災」ということばがくっつくと、必要以上に距離ができてしまうとおもう。「社会なこと」と「社会じゃないこと」という感じで。
もちろん、「当事者」とそうでないひと(それもはっきりとは分けられないけど)の違いはあって、その心遣いは絶対に必要なんだけど、でも、そういう「社会派」な言葉に騙されて、その奥にいるひとりひとりの社会の問題を感じれないのは、寂しい事だと思ふ。

自分の胸に言い聞かせながら、そんなことを思う6月の夜。



最後に、忌野清志郎の言葉と素敵な歌はっとくぜ。



社会的なメッセージを歌っているのは僕にとってはごくふつうのことなんですよね。
いろいろなことを偏らずに歌わないと。
世間のこととか政治的なこととか、ふつうに歌っていけばいいんですよ。 忌野清志郎


「ひとつだけ」