2021年2月2日火曜日

生き続ける


ときどき、自分の人生はもうずっと前にどこかで終わっていて、今はその続きを見ているような気分なることがある


街をおぼつかない足取りで歩くとき

待ち合わせ場所で君を待つとき

トイレに立ったあなたの座っていた椅子を見つめるとき

空の雲が僕に何か詩を書かせようとして陳腐な言葉しか思いつかないとき

なんでもいいんだけど


それはいいことかはわからない

でも投げやりに生きてるわけじゃないんだよ

できる限り目の前の人を愛したいと思っているのだし


言葉はどこに書けばいいのかわからない

どこに書いても きっと君のことも僕のことも救えない

きっと心からは


でも少しだったら救われるのかもしれない

ぜんぶは無理かもしれないけど maybe


だから 部屋で悲しいふりなんてしてないで いや部屋にいてもいいし

ふりでも 心も身さえ裂くような苦痛や悲愴でもいいんだ

なんでもいいから 言葉でちゃんと伝えたい

言葉じゃなくてもいい 伝えられる方法があるのなら

なんでもよくはないんだよ

言葉を選んだ方がいいよ メロディーを選び取ったほうがいい

考えすぎないほうがいい 考えすぎぐらいがちょうどいいんだよ

人にもっと会ったほうがいい  苦しんでまで会わなくてもいい

だけど 苦しいくらいがいいんだ


今日 夜の公園を歩いて帰っていたら、シャッフルでこの曲が流れてきて、

泣きそうになったよ 最近は英語が、

前よりも湿度と重みを持って感じられるようになる瞬間が増えているから

それは僕に語りかけられているような気がするんだ


ね、

そんな瞬間があるんだよ


生き続けていればきっと


でも生き続けてなくても そんな瞬間がどこかであるかもしれないね

あって欲しいんだよ


君に向かって誰かが語りかけてることを

君が炸裂する光のように感じられる瞬間が


たとえ生き続けていなかったとしても










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