ときどき、自分の人生はもうずっと前にどこかで終わっていて、今はその続きを見ているような気分なることがある
街をおぼつかない足取りで歩くとき
待ち合わせ場所で君を待つとき
トイレに立ったあなたの座っていた椅子を見つめるとき
空の雲が僕に何か詩を書かせようとして陳腐な言葉しか思いつかないとき
なんでもいいんだけど
それはいいことかはわからない
でも投げやりに生きてるわけじゃないんだよ
できる限り目の前の人を愛したいと思っているのだし
言葉はどこに書けばいいのかわからない
どこに書いても きっと君のことも僕のことも救えない
きっと心からは
でも少しだったら救われるのかもしれない
ぜんぶは無理かもしれないけど maybe
だから 部屋で悲しいふりなんてしてないで いや部屋にいてもいいし
ふりでも 心も身さえ裂くような苦痛や悲愴でもいいんだ
なんでもいいから 言葉でちゃんと伝えたい
言葉じゃなくてもいい 伝えられる方法があるのなら
なんでもよくはないんだよ
言葉を選んだ方がいいよ メロディーを選び取ったほうがいい
考えすぎないほうがいい 考えすぎぐらいがちょうどいいんだよ
人にもっと会ったほうがいい 苦しんでまで会わなくてもいい
だけど 苦しいくらいがいいんだ
今日 夜の公園を歩いて帰っていたら、シャッフルでこの曲が流れてきて、
泣きそうになったよ 最近は英語が、
前よりも湿度と重みを持って感じられるようになる瞬間が増えているから
それは僕に語りかけられているような気がするんだ
ね、
そんな瞬間があるんだよ
生き続けていればきっと
でも生き続けてなくても そんな瞬間がどこかであるかもしれないね
あって欲しいんだよ
君に向かって誰かが語りかけてることを
君が炸裂する光のように感じられる瞬間が
たとえ生き続けていなかったとしても